敷き毛布はいつだって味方の話
今日は敷き毛布の話。
この世に敷き毛布があることを知ったのは、高校生の時だった。
知り合いの家に敷き毛布があって、その感触に驚愕。
それまでは、羽毛布団のうえにかけて、温もりを逃さないためだけの
ものだと思っていた。
それを、体の下に敷くなんて。
柔らかい。これはもう、愉悦だった。愉しみのための道具。
結局実家にいるうちは導入しなかったが、一人暮らしをするようになってからは
すぐに敷き毛布を使うようになった。
それ以来、年中使っている。夏でも使っているので、暑くないのかと
言われそうだが、ぜんぜんそんなことない。というか、それよりも
感触による快の方が勝るのだろう、敷き毛布がなければもっとこうだ、という
考えすら浮かばない始末である。もはや、無いと眠れないと思う。
スペアを含めてきちんと敷き毛布があることは、自分の人生においてマストだ。
(ちなみに、「無いと眠れないと思う」というのも、結局のところ、敷き毛布
無しに眠れるかどうかを試すために一晩使うくらいなら、知らないままで
構わない、という意思表示である。)
昔読んだ江國香織の小説「ホテル・カクタス」で、数字の2(という登場人物)が
こよなく愛するのがお気に入りの毛布だった。このことは、すごく共感できる。
この数字の2(という登場人物)は、几帳面かつ神経質で、繊細な性質なのだが、
そんな数字の2にとっては、いつだって変わることなく自分を受け入れてくれる
永遠不変のものが必要なのだろう。家族や友人、恋人も、いつだって心地よく
自分を受け入れてくれるわけでは無い。そういう時に、せめて寝る時に自分を
包むものくらいは、いつも変わらずに優しく体を迎え入れてほしいのだ。
なんだか寂しい話に聞こえるかもしれないけれど、これもまた、ひとつの
ちょっとした本音だと思う。
そんな数字の2も、友人であるきゅうりや帽子と交わる中で心を通わせていくのが、
その話の素敵なところである。
今日はこんなとこで。